娘の結婚

山下ふみこ

2014年05月06日 16:27

 しばらくブログをお休みをしていました。娘の結婚式準備等で忙しかったことや複雑な心境の中で書けずにいました。


気持ちの整理もあり、私的なことですが報告をしようと思います。


娘は中3の時、オリンピックスイマーを目指してメルボルンに留学。学校の寮から、タクシーやトラムを使って朝・晩の練習に通いました。当時は言葉のハンディや人種差別もあり、本当に苦労をしたようですが、自ら選んだ道ですから、決して帰りたいとは言わず、早15年の歳月が流れました。


今、娘は建築家として仕事をしています。


今回、娘とジョエルが日本で式を上げることを選択した理由は聞いていませんが、日本で式を行うにあたり、多くの難関がありました。


娘の理想とするウェディングを通そうとするには、同じ価値観を共有する人がいなければ無理です。それとそれに費やす労力と妥協しない信念が必要でした。しかし、その思いを理解できる人はなかなかいなかったように思います。親の私でさえ、当初はなぜそこまで苦労をしてやるのか、訳が分かりませんでしたから。


日本のパケージウェディングにのってしまう方がどれだけ楽なことかと何度思ったことでしょう。


彼女が貫こうと思ったのは、来て下さる方々と家族が共に式に関わる一切を楽しむという「遊び心」でした。それをするには、今までの日本の式場スタイルとは全く違うものであり、招待状から料理のメニュー表、時間設定からすべて自前で用意するしかなかったようです。


最初は何故そこまでこだわるのかと反対をし、世間並みでいいという私の意見はことごとく却下されていきましたし、私の周囲の人たちは、皆、その計画は無謀だとさえ言いました。


5日間のスケジュール表は分単位で計算され、其々の役割分担と時間設定の緻密さは並大抵ではありませんでした。


だからこそ、本番は何一つ狂うことがなかったように思っています。娘とジョエルの式を友人たちがその役割を着実にこなし、支えてくれたことも大きかったでしょう。


今回、私は何一つ口を出さず、手も出さずと言うよりは、どう進んでいくのか不安だけが先立ち、ただただ見守っていただけ。娘からは、ママは何もしてくれないと言われてしまいましたが・・・


しかし、その5日間は本当に心に残るものであり、その一こまを私なりに本当に記しておきたいと思い、今やっとその気になりました。その一部を紹介しようと思います。


1日目:東京・京王プラザホテル。シングル最後の時間を過ごす男性陣のBucks dayと女性陣のHens day、この日は別々に夜の東京を楽しむ。


Hens day パークハイアット東京 52階バー



 

2階建てバスで東京観光→和食・居酒屋→カラオケ→

 

2・3日目:其々が沼津市内の観光と居酒屋めぐり(沼津に3~4泊)


 

式の最後の打ち合わせを自宅で

 

この間、雨は3日間降り続け、式本番が案じられていました。

4日目:自宅~大社へ レンジローバーとジャガーが、運転手つきで8台が迎えに自宅まで 

私はずーっと反対をし続け、何でこんなことまでするの~っと・・・

ジャガーとレンジローバー8台の後ろにおまけのパトカーまでがついてくることに・・・


呉竹さんの計らいで人力車もお借りすることに。

 全員が大社の鳥居前で出迎えてくれる。


93歳の祖母も出迎えてくれる。

 

ブライズメイトと一緒に神殿へ向かう。


 


 

花嫁をサポートするブライズメイトと仲間

 

全てが終わった途端、雨が降り始める。

 

5日目:ウェディング本番は快晴に 淡島ホテル


 

 

ジョエルの両親と。


 

披露宴は全てキャンドルの明かりで


 二人がダンスをしながら下りてくる。

二次会はニューヨークでDJをしている信ちゃんの曲に合わせてダンスタイム・・・深夜まで続く


翌日も快晴:


 

終わってほっとしたというよりは、本当に気持ちよく、心から送り出すにはどうしたらいいのか、ずーっとその葛藤の連続でした。この為に留学させたんじゃないとも思っていましたし・・・。

 

娘の人生半分は既に海外での生活になってしまい、親の私たちが彼女の人生を知るのは、ほんの一部です。ただただ健康で、娘が日々幸せに過ごしてほしいと願うことしかできませんでした。

 

今回、本当に70名の友人が海外から駆け付け、日本の友人も駆けつけてきてくれたことが、何よりも着実に人生を歩んできた証だったのかと思うようになりました。

 

夫が式の席で言った、「親はなくても子は育った・・・」見本みたいな子育てだったんだなぁ~とつくづく反省もし、皆さんに心から感謝をしました。

 

今やっと少しずつ、心の整理ができそうです。親子喧嘩をしても最愛の娘であり、最も冷徹に厳しい意見をいう家族の一人です。

本当に、これから二人が世界のどこにいても、ママたちは見守っているし、信頼できる家族でい続けようと努力していこうと思っています。

 

ありがとう。

 

 

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