2014年05月06日
娘の結婚
しばらくブログをお休みをしていました。娘の結婚式準備等で忙しかったことや複雑な心境の中で書けずにいました。
気持ちの整理もあり、私的なことですが報告をしようと思います。
娘は中3の時、オリンピックスイマーを目指してメルボルンに留学。学校の寮から、タクシーやトラムを使って朝・晩の練習に通いました。当時は言葉のハンディや人種差別もあり、本当に苦労をしたようですが、自ら選んだ道ですから、決して帰りたいとは言わず、早15年の歳月が流れました。
今、娘は建築家として仕事をしています。
今回、娘とジョエルが日本で式を上げることを選択した理由は聞いていませんが、日本で式を行うにあたり、多くの難関がありました。
娘の理想とするウェディングを通そうとするには、同じ価値観を共有する人がいなければ無理です。それとそれに費やす労力と妥協しない信念が必要でした。しかし、その思いを理解できる人はなかなかいなかったように思います。親の私でさえ、当初はなぜそこまで苦労をしてやるのか、訳が分かりませんでしたから。
日本のパケージウェディングにのってしまう方がどれだけ楽なことかと何度思ったことでしょう。
彼女が貫こうと思ったのは、来て下さる方々と家族が共に式に関わる一切を楽しむという「遊び心」でした。それをするには、今までの日本の式場スタイルとは全く違うものであり、招待状から料理のメニュー表、時間設定からすべて自前で用意するしかなかったようです。
最初は何故そこまでこだわるのかと反対をし、世間並みでいいという私の意見はことごとく却下されていきましたし、私の周囲の人たちは、皆、その計画は無謀だとさえ言いました。
5日間のスケジュール表は分単位で計算され、其々の役割分担と時間設定の緻密さは並大抵ではありませんでした。
だからこそ、本番は何一つ狂うことがなかったように思っています。娘とジョエルの式を友人たちがその役割を着実にこなし、支えてくれたことも大きかったでしょう。
今回、私は何一つ口を出さず、手も出さずと言うよりは、どう進んでいくのか不安だけが先立ち、ただただ見守っていただけ。娘からは、ママは何もしてくれないと言われてしまいましたが・・・
しかし、その5日間は本当に心に残るものであり、その一こまを私なりに本当に記しておきたいと思い、今やっとその気になりました。その一部を紹介しようと思います。
1日目:東京・京王プラザホテル。シングル最後の時間を過ごす男性陣のBucks dayと女性陣のHens day、この日は別々に夜の東京を楽しむ。
Hens day パークハイアット東京 52階バー





















(お話していて 心からそう思います。)
おめでとうございます!
