2013年05月13日
森島久代教授と西高同窓会
毎年、 西高卒業生の杜蔭同窓会が行われる。今日(母の日)、ホテルキャッスルで560名余の卒業生で会場はあふれんばかりである。
そのうち傘寿(80歳)は29名、喜寿(77名)は39名のOBの方々も、お元気に参加されています。
25年度、新会長のご挨拶で開会
そして今日は何よりも、西高卒業で日本人女性として初めてアメリカで医学部教授になった森島久代先生のお話を伺うことを大変楽しみにしていた。
先生の父上
森島先生の幼少期のころから現在に至るまでの歴史的な背景も含めてお話をされた。
小さな時から、お医者様になると言っていたという。
1959年、森島先生はアメリカにわたり、コロンビアい大学麻酔科アパガー教授との出会い。そして彼女は産科麻酔領域の普及への貢献を今まで費やしてきている。
当時、アパガー教授は森島さんに「私の時代、そして最前線にある今のあなたも、男性優位の医学社会を生きてきました。ですから認められるには、私たちは男性より優れていなければならない運命にあります。この不公平はあなたの娘たちの時代になるまで改善されないでしょう」と言ったそうです。
そしてそれは日本の社会では未だに取り上げられなければならない問題であるということ。
当時、医師としてやっていくには男性より優れていなければ認められない社会であり、それゆえに非常にご苦労されただろうし、それは言葉では言い尽くせないものであったことは想像に難くない。
自分自身の能力を疑い挫折しそうになるたびに、「貴女ならできる」と言うアプガー教授の言葉が常に励ましてくれたという。
日本ではどうであろうか?
未だにその状況が現実として立ちはだかっている。例えば、議員は給与においては男女の差はないが、現実、沼津市議会は女性議員が1割(28名中3人)しかいない状況の中で、議員活動において全く平等であるかと言うとそうではないと感じている。
森島先生が仰るように、同じ状況の中で女性が認められるには、男性より優れていなければならないという言葉には重みがある。
当時の女性に対する社会的評価は、今以上に相当ご苦労されたに違いないし、そのパイオニアでもある立場として、今の日本において、その状況は未だ問題があると感じておられるようです。
今日は先生の歩まれてきた人生に少しでも同じ空間の中で触れることができ、またその偉大な方が同窓生であることに誇りと勇気を頂いた。
今日はお願いをして、少しの時間お話をさせて頂く。そして最後に先生は私をハグしてくださったことは I never forget
「如何なる困難に遭遇しようとも前向きの姿勢で、自分自身が選択した道に誇りと情熱を抱き、それに専念する強い意志を失わないこと」 そういう強い志を持った人に私もなりたい。