2011年07月27日
がれきに花を咲かせましょう in 久之浜
24日(日)久之浜がれき撤去ツアーに参加。久之浜へは3回目になる。
朝3:50に沼津インター出発→現地着9:30→作業終了15:30→帰路22:30
5月に行った時と打って変わって、1週間前には電話が通じ、インターネットもやっとできる状況になったという。ボランティアも常時入っているようで、がれきの撤去は大分進んでいた。諏訪神社に当初からいる若者たちがずいぶん逞しくなっていることに驚く。
撤去作業は着々と進んではいるが、未だに、子供は一人も見当たらず、まだまだ放射能という恐怖に子供をもつ世帯は戻ってきていない。
久之浜の被害:死者63名・不明者12名/人口3800人 全半壊505戸/2000戸 1.6mの津波の引き波で家屋が壊され、地震による火災が発生していたところに、津波の引き波で渦を巻いて一面火の海になり火災が広がったという。
今回のがれき撤去作業は、「たこ煮」というたこを加工する会社の自宅です。家の方が立ち会う中で、地元のボランティアの方と総勢40名以上で1日かけて、このお宅の片づけをする。
一つ一つ分別をしていく。可燃物・不燃物・プラスチック・ビン等の割れ物・金物・貴重品・がれき・家具・電化製品等。ガラスの破片も一つ一つ拾っていく。
本来は解体事業者が入るらしいが、この作業が間に合わず、家の中のもの全て分別して、整理したところから、順次解体をするらしい。
全てこのようにきれいに片片づけて完了になる。全て手作業で大勢で取り掛からなければ、気の遠くなるような作業である。
片づけが終わった家々にはこんなメッセージも書かれている。
この久之浜は、福島第1原発から30キロ圏内にあり、私たちが5月には行った時は、ボランティアも行政も全く入らず、他の地域と比べ最も遅れていた。被災された方が戻ってこれない状況の中、一部の若者たちだけで活動を始め、今では多くの若者がボランティアで入ってきていた。
美大の学生が始めた「がれきに花を咲かせましょう」のペインティングが地元の方たちに受け入れられ、せめて自分の最後の家に、花を添えてほしいというリクエストもあり、至る所に大きな大輪の花を咲かせていた。
樹木1本ない、緑が全くない一面がれきの中、突如咲いた花。この運動はもっと広まって行くという。http://www.youtube.com/watch?v=HdrKfLQIVfI
私たちの義援金で整備ができて、今では大活躍の軽トラック。すっかり見違えてしまった。
地元の人たちとの関係も「がれきに花を」添えたことで、うまくいくようになり、元気をもたらし、またメディアにも取り上げられ、思わぬ大きな成果をあげているという。
8月28日「花火イベント」を開催予定で、今その準備も始まっている。
行政の支援が行き届かなかった久之浜の復興にかける決意表明をこのイベントに託したいという。
震災で亡くなった方、全ての財産を失った方、いまだに行方不明の方、一斉に花火を上げることで、其々の想いのたけを吐き出して、新しい一歩を踏み出すこと。そして、散り散りになった久之浜の方にメッセージを届けたいという。
今、まだ福島第1原発が収束に向かっていない中、いつ何が起きてもおかしくないという状況を彼らは知っていた。そして、今まで、第1次産業でこの町を支えてきた農業・漁業は再興できないかもしれないと。
復興するにはそれに頼らないまちづくりを新たに考えていかなければならないだろうと。
僕たちが受けた大けがを無駄にしてほしくない。この災難を教訓にして、これをきちんと防災に対するマニュアル化を進め、浜岡原発に生かしてほしいとさえ言われた。
そして、またここを訪ねてきて欲しいという。ここがどんな処だったのか、どんな人間がいたのか、またちょっと見に来てほしいと・・・それがここにいる僕たちの願いだと。
北いわき再生発展プロジェクトチーム http://kitaiwaki.jp/