2012年11月25日
藻谷浩介さんと沼津のまちを歩く
中心市街地活性化のグランドデザインを提案しているSIDAMの主催。沼津の状況は地元以上によく知っている藻谷さんの案内で14:00スタート。
参加者は、地元はもちろん三島、富士の方も。
先ずは町方町は駅から1~2mぐらい上がっているので、洪水が来ないところであり、だからこそかつては町の中心地でもあったという。
ここのアーケードの一角は柱がなく、日本でも大変珍しいという。
その上は住居になっているが、地権者が高齢化になって、ここに住んでいない人が多くなっているという。建物の上に上がるには、中からしか行けないため、2階以上は行けず、人にも貸せない作りになっているため、2階以上は空き室になってしまうという。
ビルは大変古いようだが、アールデコ調風で左右対称になるようにデザインされ、当時の豊かなセンスの良さを、今なお残している。
本町から脇に入ると、そこは東宮後町。
表の騒音から一転して、緑のある閑静な地域に入り、車が通らない環境を作っている。
そこから浅間神社へ
表を抜けるとそこは旧東海道。
そこから千本浜へ向かって行く途中に乗運寺さんへ立ち寄る
門をくぐった途端、見事なお庭が眼前に広がる。ここには若山牧水のお墓がある。
また区画整理の時にでてきた壷の中に入った遺骨のために、池を作り、壷を配置して供養をしているという。
蛇松緑道を横切って千本浜に向かう。
千本浜から魚市場へ。何故、この魚市場が観光として成功したのか。市場の中に商店舗を作っているため、本物感が高い。東京では沼津港直送だと言うと売れるように、市場の物をそこで直接食べれるという感がある。
普通、市場の中にテンポはなく、ここはそのごちゃごちゃ感がいいという。また、観光バスが主ではないことも幸いしているという。
しかし、地元の人は、遊びに来た友人を案内することはあっても、日常的には行かないと言う人が多かった。
道の案内板がここに来て初めてあう。目につきにくい処にあり、案内板ももっとあっていいのではないか。
全体に、看板自体にどぎつい色のものが少ないという。
建物も落ち着いたトーンに統一されている感がある。しかし、人を歩かせるための店がなく、コンビニがないということは、地域全体が高齢化になって、商業的に成り立たないから、コンビニができないということらしい。
狩野川沿いの道を歩く。ここだけ堤防が途切れている。津波が来た時にはここから川の水が押し寄せてくる。
永代橋から南は護岸が垂直立っていて、剃刀護岸と言って景観が悪い。今はリバーサイドホテル前にあるような護岸工事をするようになってきているという。
しかし、緑一つない護岸は殺風景過ぎる。潤いがないと人は寄らない。ここも普段は余り人も寄らないし、イベントの時だけのものになってしまっているように思う。
その大きな原因の一つには、沼津のまちの建物の方向が、川に背を向けて建てられているからという。せっかく町の中に川があるのに、その景観が活かされていない。
最近、大阪では建物のあり方が見直され、川に向けられて建てられるようになってきているという。
確かに、東急ホテルをそこに建設した時に、何が失敗したかと言うと、玄関口を川に向けるべきだったと言う意見を聞いたことがある。
メルボルンのまちも、大きなヤラ川が市内を通っているが、川に沿って店が並び、オープンカフェもあり、人々が食事やお茶をそこで楽しんでいる。
中央公園を通って、駅に向かう。その交差点もグリーンベルトがない。町の中に自然が残っていないし、緑地帯一つなく、殺風景なまちになっている。
特に南口は銀行が多く、ビジネスホテルが少ない。本来は、この人口規模だとホテルはもっとあっていいのだが、東京に近いので、泊らずに帰れるので、ホテルは作りづらく、本来、ホテル業は成り立たないのだろうという。(しかし、北口と南口では様相が違う。北口にはビジネスホテルは沢山ある。)
町の中の建物の向きが横を向いて作ってしまっていて、道路に向きあっていない事も、景観を損ねている。また、イルミネーションも青や白は余計うらびれているように思えないだろうか。シンガポールはこの色らしいが、向こうは熱い国だから・・・という。
この地下道の入り口は大変せまく、また地下道の深さがない。道路からの深さがなく、道路からの距離が近い事に今更ながら驚き。
駅前の問題の地下道。先ずは地下をなくして、平面にすべきと藻谷さんも言う。
今、静岡市の繁華街の江川町交差点は平面横断化社会実験が始まったばかり。
この沼津駅の平面交差点のことは、私も昨年、警察に行き話をしたことがあるが、やはり、交通量の問題と歩行者の安全を確保するためには、難しいという答えだった。
しかし、時代はどんどん高齢化になっていき、このままでは、ますますこの地下道は使われなくなってしまう。静岡は、もっと交通量も歩行者も多いわけだから、沼津市にもできないことはないはず。
駅の西側を通って、北口にでる。雨は次第にひどくなりながらも、みんな傘もささずに黙々と藻谷さんの講義を聴きながら、歩き続ける。ここまで何と10キロの行程。
東海道線を境に北と南で町を二分している。左右で10万都市の形成をしているので、まちを弱めているという。北口はリコー通りができて、町が発展した。
藻谷さんは、町を二分すると言うことは、2を1で割ると、0.7+0.8になってしまい、決して1にはならず、、町の力を弱めてしまっているという。
町を1+1にするとそれは2.5にもそれ以上にもなるということは、町を足すとその力はそれ以上に大きくなるという。
まさしく、沼津は20万人都市ではなく、其々のまちのあり様になっている。あまねガードの使い勝手の悪さにも言及。これもまちを分断している。
鉄道を降りた観光客は北へは行かない。またホテルから出かけていく人は、南側の店にわざわざ行かない。北側には若い人が住み、南側には昔からの土地を持っている老舗の人が住んでいると言えるだろうか。
帰りは仲見世を通る。
こうしていつもイベントをやっているが、頑張って一生懸命やっている人がいるから、こうして店が何とかなっている。しかし、一生懸命やっているが、見かけよりずーっと苦しいはずと藻谷さんは言う。
私も最近お店の方と話したのだが、その方は、「私がニコニコ笑っていないと、銀行の人が心配して、金を返してくれと言われないように、苦しいからこそ笑っているしかないんだよ」と言われた。
本当に藻谷さんの言っていることを私も実感している。
雨の降る中をやっとのことでSIDAMに戻る。藻谷さんは4時間話し続け、私たちと一緒に歩き続けた沼津のまち歩き。本当にタフな方だ。毎日1万歩は歩いているというだけあって、まちをみる視点が違う。
帰って来た後も其々の意見交換もあり、今日は大きな宿題をもらったように思う。
今回のまち歩き会に関して本当に感謝します。また藻谷さんの沼津に対する思いも伝わり、これもまた改めて感謝します。